コラボレの子ども椅子 [椅子]
子ども専用の椅子を誂えたい、とずっと願っていた。
でも、これがなかなか難しい。
お子さま仕様のかわいいかわいいは嫌。
でも、大人椅子を小さくしただけのようなつまらないデザインも、嫌。
子どもが一生大事にしてくれるように、上等なものがほしい。
下の子が生まれてから、上の子のぶんも含めて、ずっと探し続けてきた。
「いいのって、ないのかも」と思っていたところ、老舗旅館の息子である知人が、
「知り合いの家具職人の家具で、うちの部屋を揃えたいと思っている」とのこと。
その家具屋のパンフレットがとても感じがいいので、近くのショールーム兼工場に
行ってみた。
家具はとてもいい。値段もいいが、質もデザインもいい。
それで、「子ども椅子がほしいんですが」というと、デザイン画を起こしてくれた。
でも、残念ながら気に入らない。
「ありがとう、でもやめておきます」と伝えに寄ったとき、大人用のダイニングチェアが
目に入った。
「このデザインで子ども椅子、できないですかね」
「やってみましょう」
そんなこんなで発注し、我が家に届いたのが、この子ども椅子だ。
後ろの大人椅子との大きさの違いでわかるだろうが、ほぼ40センチ四方くらいの椅子。
かわいらしさとかっこよさとが同時に備わって、ほんとうに素敵な椅子を
作ってもらった。
ほんとうに幸せ。
その家具屋さん、コラボレという。

そうそう、子ども椅子を探している最中に知った、中村好文さんの子ども椅子も
なかなか素敵。
興味がある人は探してみてクダサイ。
ボーネルンドのオーボール [子どもグッズ]
この変な形をしたもの、ボールなのだ。直径10センチほど。ポリウレタンでできていて、ぎゅっと押すとぐにゃっとへこむ程度の弾力性がある。
0歳児から遊べるボールなのだけど、見た目には「どこがいいの?」と思うようなもの。それが、何気なく買ってみたら、とってもよいものだった。
子どもは、手足が自由に動かせるようになったころから、なんでもつかんでみる。つかんで、ひきよせて、なめて、確かめる。ほんとうに「モミジのように」小さな、はかない指の力だから、つかみたくても空振りに終わることも多い。
ところが、このボールは、網目になっているから、子どもの小さな指でも引っ掛けることができる。赤ちゃんでも握力だけは力強いから、いったん握れたものは振り回したり、なめたり、いくらでも遊べる。変に思えた色彩も、子どもが遊ぶ姿を見るとポップでかわいい。
私も、本など読んでいるときに、無意識にこのボールをぐにゃぐにゃ握って楽しんでいることがある。赤ちゃんに気持ちいいものって、大人にも気持ちいいのね。

銀のかえる [インテリア雑貨]
またまたかえるである。
青山にあるスパイラルマーケットに、筆記具を買うために入った日。買うものはさっさと決まったので、新しい品を出してもらっているあいだ、ぶらぶらとそのへんのショーケースを眺めていた。そのとき、またかえるを見つけてしまったのだった。
銀メッキの、小さなかえる。やっぱり王冠をかぶっている。アメリカ製の品物で、「VILMAIN」と書いてあるのがメーカー名なのか。よくわからない。なんのための品物なのかも、よくわからない。でも、かわいい。
箱には「You're may prince」と書いてある。彼氏へのプレゼント用のグッズなのかしら。
そういえば、もう10年以上も前、ニューヨークに行ったときに、通りがかりの小さな店のショーウィンドウで見かけたブローチを思い出した。青緑色に光る、おそらく七宝を使ったトカゲのブローチ。私でも買える程度の値段だったが、セーターにつけていると、幸せな気持ちになったものだった。
あるときから姿を見なくなって、もう何年もどこかになくしたままなのだ。
でも、「ほんとうになくした」とわかるのが嫌で、徹底的に探していないので、「なにかの服のどこかにくっついているはず」と信じてもいる。
話を戻して、このかえる。妙に思索的な雰囲気がよい。もしかしたら、ハエを狙っているだけなのかもしれないけどね。

安土忠久さんのガラス花入れ [陶磁器類]
安土忠久さんというガラス作家がいる。宙吹きガラスでとても有名な人だ。我が家では、この人のグラスが好きで、いろいろなかたちのものを取り揃えて使っている。
ここで解説するまでもないのだけれど、宙吹きだから、ひとつひとつかたちが違う。ゆがんでいて、そのゆがみがおもしろい。ゆがんだ、という意味の「へちかんだ」という名称をつけていて、その響きも愉しい。
物を作る、というのは厳しいことだといつも思う。そこに作為があるときに、その作品は嫌味なだけでなく、使う人の手になじむ素直さを失うように思う。とくに、私たちの文化には制作の過程でおきた偶然を尊ぶところがあって、ゆがんだかたち、釉薬のむらなどを「味」とする。その「味」は、ひどく微妙なものなのだ。作為でつけてはいやらしい。でも、自然のままに任せてはただの一発芸。
この手の吹きガラスは、最近、よく見かけるようになった。味をつけたものも、たくさんある。でも、安土さんのガラスの歪みは、とても素直だ。使えば使うほど好きになって、グラスやボトル、お皿のような実用品ではないものにまで手が出たのが、この花入れ。
えりまきとかげのようなひらひらがついている。見た目のおもしろさだけではなく、このひらひらにじょうずに花を乗せると、かたちが決まって安定する。不思議な花入れなのである。
ちなみに、活けてあるのは宗旦むくげ。この花が庭で咲いては散り咲いては散りをはじめると、「夏も盛りだ」と思う。

スワロフスキーのかえる [インテリア雑貨]
梅雨の時期になると、かえるグッズが欲しくなる。
左側にいる親がえるは、数年前に買ったスワロフスキーのガラス細工。かえるの「水」イメージとクリスタルの透明感が一致して、玄関に飾る梅雨の時期が楽しみになっていた。しばらくずっと、スワロフスキーには大きなかえるしかいないと思っていたのだが、ある日、この赤ちゃんがえるを発見。
親がえるは直線でできていて、カット面に光が反射して美しい。赤ちゃんがえるは曲線でできていて、やわらかく光を反射してやはり美しい。
それにしても、店で売っているときはあれほど透明に輝いているクリスタル、家に持って帰ってしばらくすると少し透明感が失われる気がするのだけど、気のせいかしら。

ACMEの名刺入れ [文房具]
仕事の合間の時間つぶしに表参道や外苑前にあるhhstyleに立ち寄ることがある。モダンデザインのインテリアショップで、椅子がとにかくたくさん置いてある店だ。
そこで、「おおっ、これは好きだ」と思って、思わず買ってしまった名刺入れ。
じつは、以前、人からもらった名刺入れをこの2ヶ月くらい前から見失っていて、財布に名刺を入れて名刺交換をする、というぶざまなことをしつづけていたのである。いいかげん「どうやら失くしたらしい」と諦めをつけて、表参道で時間が余ったある日、某雑貨店でかっこいい名刺入れを買った直後に入ったhhstyle。ついさっき買ったのに、どうしても使いたくて買ってしまったのであった。
鮮やかなオレンジ。手触りのよいエナメル質。出すたびに嬉しくなる。
これは、アクメという文具メーカーのもの。紹介文によると、「時代を越えて活躍する芸術家、建築家、デザイナーの業績を記念して、彼等のデザインを使ったボールペン、カードケース等を発表。常に新しいコレクションを発表しており、SWATCHのボールペン版とも称される」とか。
家に帰って紹介文を読み、「しまった、やっぱりあのとき気になったボールペンもいっしょに買うんだった」と後悔。でもいいの。今度、時間つぶしで店に入るときの楽しみができたんだから。

ボーネルンドのうさぎ [子どもグッズ]
上の子のときは羊だった。どうしてもほしくて、でも高いから迷っていて、年上の友人が「お祝いに何がほしい?」と訊いてくれたので、「もし予算的に大丈夫なら」と頼んで贈ってもらったのである。その羊は、上の子がどこに行くにも持ち歩いて、なめまくり、いまやズタボロになっているが、それでもときどき「羊ちゃん」などと呼んでかわいがっている。小学校1年生になる男の子が、だ。
そんなわけで、「これはとてもいいもの」 という思いがあって、今度は自分で子どもに買い与えたうさぎ。オーガニックコットンのやわらかい生成り色。かわいい。
子どものおもちゃって、この数年でものすごく変化したと思う。ボーネルンド、ニキティキ……かつては、「木のおもちゃ」という見方で探していたけれど、木であるかどうかだけでなく、とってもかわいくて、センスがよくて、色もきれいなさまざまなおもちゃがある。
正直言って、おもちゃにさえ親のセンスが問われてしまうのって、ちょっと疲れるんだけどね。

みのり苑の「じんこう」「きゃら」 [インテリア雑貨]
この日記に何度か登場している陶芸家、守田蔵さんが我が家に見えたときのこと。ある書をお見せしたら「これは、とてもいい」と感心してくださった。そして、「この書の前で焚いてください」とそのとき携えていたお香を何本か置いて帰られたのだった。
楽しかった時間を思い起こしながら焚いたそのお香、沈香の清冽な香りがする。もともと西洋のアロマオイルよりも日本のお香の香りのほうが好きで、いろいろと試してきたが、過去に使ったいずれとも違う強い香りなのだ。甘ったるさのない、烈烈とした、というとお香の形容とも聞こえないかもしれないけれど。
これ1本、焚くだけで家の空気がまさに浄化される。空気だけでなく、私の心も洗われる。お香とは、その香りが漂う圏内を別の空間にしてしまう。
ほんとうかどうか知らないが、森のなかにはフィトンチッドという成分が漂っているという。樹木が作り出す成分で、他の植物の成長を妨げたり、昆虫や動物に葉や幹を食べられないようにしたりす効果があると聞く。いわば殺虫・殺菌効果である。このお香の強さには、なまくらな私を殺すほどのものを感じるのである。
あとで蔵さんに尋ねたところ、これはみのり苑という滋賀の店のもの。蔵さんは、東京郊外にある故・白洲正子邸、「武相荘」で手に入れているとのこと。そのあたりは私の実家のあったあたりでもあり、たまに車で買いに行く。お気に入りは「じんこう」と「きゃら」。
あえて区別するなら、「じんこう」は気持ちがよどんでいるときに、「きゃら」は気持ちを高めたいときに使っている気がする。

ケルトのラトル [子どもグッズ]
友人に赤ちゃんが生まれたときに、「なにかいいものないかな」と探して、「これだ!」と思ったのがこのラトル。ラトルとは、要はガラガラのこと。
銀メッキの金属製、振るとシャラシャラとなにかの結晶が降ってくるような音が響いてくる。シャラシャラ、あるいはシャリシャリ……。私はメルヘンな人間ではないけど、「まるでお星さまのかけらが入っているみたい」と言いたい。自分の手の中で音がしているのに、どこかはるか彼方からかすかに響いてくるような音なのも、不思議だ。
メキシコ製だ、というところもなにか古代を感じて嬉しいが、よく話を聞くと起源は古代ケルト民族の物らしい。それ以上はよくわからない。ほんとうな何が中に入っているのかも、わからない。わからないところがまた、気に入っている。
そうそう、娘は、めったやたらにこのラトルを振り回して、たまに頭にがつんとぶつけて泣きそうになっている。痛い目に会うのに、持たせれば喜ぶのである。

伏見眞樹さんの漆のベビースプーン
そもそもは、カレースプーンだった。近くの漆器屋でみかけた竹製の漆塗りのスプーン。やわらかなアールがついて、まるでもう1枚の舌のように口の中に差し込めそうなスプーンであった。しかし、貴重な国産の漆を使い、竹を切り出して作っているスプーン、なにしろ高価。1本1万円というのは、スプーンにしてはびっくりする値段だ。
でも、あまりの手触りのやわらかさに惹かれて、夫婦のぶんだけ購入。その口あたり、舌あたりのやわらかさに感動し、おかゆにもカレーにもお茶漬けにもシチューにも使い、サラダのサーバーにも使い……と、八面六臂の活躍をすることになった。
この竹製スプーン、伏見眞樹さんという作家の作ったものだ。鎌倉彫を学んだのち、木曽で佐藤阡朗さんという職人に師事、現在は神奈川県の葉山で工房をもっている。伏見さんの漆は、独特のしっとりとしつつさらっとした質感がある。これは、国産の漆を使っているからだとのこと。伏見さんの展覧会には、彼の友人、大出晃さんという漆掻きの職人の写真や作業風景の写真、国産漆と中国産の漆とを塗り分けて違いを見せる演出などがなされていて、国産漆への思いが伝わってくる。
どこかに書かれたものではなく話で聞いただけなので、正確かどうか自信はないが、国産と中国産とのなによりも大きな違いは、掻き取り方によるという。雑に、しかも徹底的に掻き取る中国産は雑物が多く混入する。手でていねいに掻き取る日本産は、純度が高くさらさらしている。その違いが、木に塗ったときにあきらかに出るのだ。
さて、2本のスプーンに八面六臂の活躍をさせつづけていたが、買い足したいと訪れた伏見さんの展覧会で見つけたのが、ベビースプーンとフォークのセット。手間がかかるので在庫が少なく、「なんとかお食い初めに間に合わないか」と頼んで作ってもらったのであった。そして、現在、離乳食をはじめた娘。とくにスプーンが日々、大活躍である。
歯茎しかない幼い娘の口の中に、するりと入り込むやわらかいカープと厚み。載せた食べ物を呑み下しつつ、歯が生えかけた歯茎でこりこりとスプーンを噛む口元は、見ているだけで気持ちよさそう。西洋には銀のスプーンを贈る習慣があるが、銀よりも漆のほうがはるかに舌にやさしく、味もおいしいに違いない。
私と夫のスプーンは長年使って先が磨り減り、表面はつるつるに磨かれたようなつやを出している。このベビースプーンもこれから先、娘の舌と唇で磨かれつづけて、どんなつやを出していくのか。







